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流派の沿革

初代家元 笹岡竹甫

1919年、現家元の曽祖父に当たる笹岡竹甫(1884〜1965)が「未生流投入盛花家元」を創流したのが現在の未生流笹岡の始まりです。西洋の園芸植物を用いた新しい型「盛花」がまさに全国に広がりはじめた頃でした。当時、未生流(江戸時代後期、未生斎一甫により大阪で創始されたいけばなの流派)の高弟であった竹甫は、それまでの盛花には充分に古典の技法が活かされていないと考え、未生流の特色である鱗形(直角二等辺三角形)を踏襲した笹岡式盛花を編み出し、一派を立てました。

竹甫の作風は自然の出生を重んじ、写実性に富んだ一種独特の風格がありました。また竹甫は生花(せいか)の名手でもあり、40分間に36瓶の葉蘭(はらん)をいける早業を持つなど、稀にみる天才として今も人々の語り草になっています。

前家元 笹岡勲甫

前家元、笹岡勲甫は、1925年京都に生まれ、伝統の技を受け継ぐべく、父である竹甫より教えを受けました。1966年二代家元を継承、流派名を「未生流笹岡」と改めると共に、卓越した技術を要する「かきつばた」を流花と定めます。

また勲甫は、いけばなを正しく伝えるためには理論的研究も必要であるとして『挿花百練』(未生流の始祖、未生斎一甫の口述書、1816年)をひもとき、その中に脈々として流れる古代中国の陰陽思想を研究、いけばなから日常生活にまで及ぶその心を広く紹介しました。