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いけばなの型

たて花

現在知られている最古のいけばなの型は、室町時代の「たて花(はな)」です。座敷飾りの一部として鑑賞されたもので、中心に「しん」と呼ばれる枝を直立させ、その足もとに季節の草花「下草」を添える形式です。

『仙伝抄』には「右長左短」や「左長右短」という言葉が見られます。しんに添える草の入れ方についての記述で、左右のうち一方を長くすれば他方は短くせよ、つまり左右非対称のデザインにしなさいというのです。

立花

室町時代のたて花は座敷飾りの一要素でしたが、やがて花は独立したアートとして単独で鑑賞されるようになります。花枝の種類や数が増えて大型化し、大名邸の書院を飾るのに相応しいデコラティブないけばな「立花(りっか)」が誕生します。戦国の世が治まり、絢爛豪華な装飾が施された城郭建築が栄えた秀吉の頃には、いけばなも豪華で複雑なものが好まれるようになったのです。

※現在、未生流笹岡では、普段のレッスンで「たて花」「立花」をいけることはありません。

生花

生花

江戸時代後半に時代を牽引したのは、特権階級ではなく富裕な町人階層でした。新しい文化の担い手となった彼らに受け入れられるよう、豪華で難解な立花に代わって、三本の役枝で構成される簡潔で分かりやすい型が誕生します。当時は「生花(いけはな)」と呼ばれていましたが、後にこの「いけばな」の用語は日本の花芸術の総称となりました。それほど、この生花が広がりを見せたということでしょう。そこで、総称としてのいけばなと区別するため、江戸時代後半の型を指す場合には、生花と書いて「せいか」もしくは「しょうか」と読みます。生花の主要な構成要素は、高さの異なる三本の役枝で、それぞれ「天」「人」「地」を意味します。

投入・盛花

投入・盛花

従来のいけばなは木物が中心でしたから、長く屈曲した枝に適した型が生み出されました。ところが、西洋の園芸植物は、木物に比べると、丈が短くまっすぐで単調です。こうした外来種の花を何とかしていけばなに取り込もうと、当時の華道家たちは、新たな型を考案しました。 平たい皿状の水盤に低く盛るようにいける「盛花(もりばな)」の誕生です。

未生流笹岡の盛花は、大小二つの直角三角形で構成します。また、盛花と同様の型を持ち、瓶や壷など背の高い花器にいけるものを「投入(なげいれ)」と呼んでいます。

色彩花

色彩花

大正デモクラシーの動きと呼応し、美術界でも自由や個性を求める風潮がおこりました。こうした流れの中で、大正から昭和の初めにかけて、創作的ないけばな「自由花」が提唱されます。たて花から盛花にいたるまで、これまでのいけばなの型は、出生(しゅっしょう)、つまり自然の中にあるがままの姿や性質、を大切にしてきました。背高く生育する木を高くいけ、足もとに咲く草花は低くいけるといった具合です。これに対し、自由花は、抽象的で自由なデザインが特徴で、いわば植物素材を使ったアートと捉えることができます。立花や生花のように役枝が定められておらず、流派色よりもいけ手の個性が重視されます。  しばしば何でもありの無手勝流のように誤解されがちですが、自由花という新たな型が成立したと理解した方がよいでしょう。

未生流笹岡では、自由花を「色彩花(しきさいか)」と名付けています。カンディンスキーやモンドリアンらによって理論化された抽象絵画の手法を取り入れ、点・線・面の三要素で構成する、独自のデザイン理論を確立しています。